心療内科関係者が小説を書いてみた。

 企画:あもう様 まとめ:杉浦 亜紀  -Psychosomatic Internal Medicine-
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木崎喜代子の場合 #15
<当ブログ企画作品>
前回のお話
<こちらより転載>

 夕方からの当直に申し送りを済ませると三野原は、木崎浩實の姿を探した。手際のいい園田の処置の甲斐もあり、彼は既に診察室を出て、廊下のソファーにいた。木崎の診察を通して想像していた浩實氏は気難しい壮年男性だったが、実際の彼は三野原より15㎝ほど小柄で、怪訝そうにこちらを見上げてきた。
「はじめまして、心療内科で木崎さんを担当しております。三野原と申します。こんなタイミングで申し訳ありませんが、ご挨拶をと思いまして」
 彼を圧迫しない程度に距離をあけ、三野原も席につく。
「木崎さんはもう落ち着かれていますが、点滴中なので、今しばらくお待たせします。急なことで驚かれましたね」
 渋面を崩さず浩實は頷き、「お世話をかけます」と低く答えた。彼も息子に殴られた直後だということを頭に置きながら、様子を観察する。胸の前で硬く手を組み、かなり心理的防衛が強い印象だ。今日、踏み込んだ話をするのは難しいと判断した。
「点滴が終わりましたら、お声がけしますね」
 それだけ言い置いてその場を後にしようとした時、三野原のPHSが鳴った。「失礼」と去りながら応答すると、救急外来の受付からだった。
「木崎さんのお迎えに、男性の方が見えてますけど……」
「若い男性?」
「はい」
 どうやら、日直業務は延長戦の気配だった。

「お世話になります……」
 木崎正太郎氏は、そういって頭を下げた。三野原は、自分の先入観を少し反省した。喜代子から聞く息子像は、「線が細く、気の弱い男性」だった。しかし、目の前にいる男性は決して小柄ではない。恐らく身体を鍛えていて、厚みだけならば三野原よりあるだろう。浩實のいるブロックを避け、人気の少ない待合に彼を誘導した。
「あの、母は……」
「えぇ、もうすぐ点滴も終わりますし、帰れますよ」
「歩けそうでしょうか」
「痛みも、来られた時よりは良くなっていそうです。とりあえず、お母さんに声を掛けてきますね」
 踵を返すと、今度は喜代子のもとに向かった。案の定、彼女も驚きの声を上げた。
「息子が迎えに来てる……?」
「心配されていたので病状はお話ししましたが、会われますか?」
「はい……あの、夫は?」
「もう廊下でお待ちですが、息子さんと会わせていいのかわからなかったので、まず木崎さんに聞きに来ました」
 喜代子は少し迷った後、まず息子だけを呼んで欲しいと答えた。やがてカーテンに囲われた狭い点滴室に、身を縮めながら正太郎が現れた。
「ごめん……」
 身を起こした喜代子に、彼は小さくけれどもしっかりした声で詫びを述べた。
「お母さんは大丈夫よ」
「帰れそう?」
「そうね、ちょっと眠いけど帰れるわ」
「タクシー呼ぶよ。俺も一緒に帰る」
「でも、お父さんは」
「話はする。ひとまず、家に帰ろう」
 きっぱりと、正太郎は答えた。息子の様子に彼女はやや戸惑ったようだが、それでも帰る方向で同意した。
「では、2週間後。予定通り、外来でお待ちしていますね」
 三野原はそう締めくくり、カーテンの向こう側へ消えた。

「先日は、お騒がせしました……」
 果たして予約通りに喜代子は現れた。若干の疲れは見えたが、その表情は曇りが晴れたように見えた。
「お正月早々、大変でしたね。あれからどうなりました?」
 三野原の促しに、彼女はその後の顛末を話し始めた。
 やはり、昨年の夏に正太郎は退職していた。その頃から少しずつ体調が良くなり、夜に外出するようになっていった。
「どうも、私が気付かないうちにジムに通っていたみたいで」
 そこで少しずつ体力をつけた彼は、ジムのトレーニング仲間から年末のバイトに誘われた。そして家を離れ、友人宅に居候するようになったのだという。しかし、荷物を取りに戻ったタイミングで父親と鉢合わせをしてしまった。
「あれから、家に戻って3人で話をしました。ものすごく久しぶりで、何だか変な空気でしたけど」
 改めて退職をしたこと、徐々に体調は回復して年明けから転職活動を始める予定なこと、そして家を出ることを浩實にも伝えたのだという。
「夫は黙って聞いていて、最後に『わかった』とだけ言いました」
「木崎さんも、お疲れさまでした」
「でもね、先生。結局息子は自分で解決して、私は何の役にも立ちませんでした」
「……それ、息子さんに話しました?」
「えぇ、夫が帰って2人だけになってから、ぽろっと言ってしまいました」
「息子さん、どう仰いました?」
「……何か、気を遣わせてしまいました」
 喜代子の言葉を受けて、正太郎はこう答えたのだと言う。
「『母さんがいてくれなかったら、俺は部屋から出てこられなかった』『母さんはあまりわかってないと思うけど、毎日食事作ってくれたり、それはすごいことなんだって今更わかった』『家を出るにも、母さんに有難うって言ってからにしようと思った』」
 正太郎の言葉を繰り返しているだけなのに、涙が込み上げてきた。
「『有難う』って、言ってくれました……」
「それは、本当に良かった」
 曇った視界で三野原の顔はよく見えなかったが、声だけでも充分に労いの思いは伝わった。

 これから半年後、木崎喜代子は心療内科の終診に至った。腰痛は続くものの、日々を送るには支障がない痛みになったと、彼女自身が判断したからだ。
「本当に、有難うございました」
 最後の診察の席で、喜代子は深々と頭を下げた。
「よく頑張られましたね」
 何度も聞いた三野原の言葉も、今日は素直に受け取れる気がした。
「何とか、やっていこうと思います。でも、もしまたどうしても困ることがあったら……ここに来てもいいですか?」
 彼女の言葉に、三野原は頷いた。
「まず大丈夫だと思います。けど、何か困ったらまた来てください」
 でも、そう思ってると案外来なくて済んだりしますけど、と彼は混ぜ返した。その台詞に心から笑い返して、喜代子は病院を後にした。

 さあ、これから何処へ行こう。
 視線の先の夏空はひろく青く、彼女の心は浮き立っていた。





<あとがき・ご感想歓迎>
| あもう | 著:あもう | 18:30 | comments(0) | trackbacks(0) |

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