心療内科関係者が小説を書いてみた。

 企画:あもう様 まとめ:杉浦 亜紀  -Psychosomatic Internal Medicine-
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Gさんの場合<完結>
<当ブログ企画作品>

 電子カルテに「受付済」が表示された。来ないかもしれない、と思っていた患者さんが遅れて来たらしい。ちょうど外来終了間際でお昼ご飯、と気が抜けていたので、いやいや、まだまだ、と気合いを入れ直した。

 前回初めて会った腰痛の患者さんだ。「腰が痛いのにどうして心療内科を紹介されたのかよくわからない」と言っていたので、一応再診を今日に予約したが、来ない可能性も十分あると思っていた。
 色んな検査をしても原因がわからず、普通の治療でなかなか治らない腰痛の患者さんはときに、こうして心療内科に紹介される。紹介する先生もよくわからないまま、「何となくメンタルの問題っぽい」と思っていることが多い。「気の問題」とでも言うのだろうか。
 それはよくある誤解だから仕方ない。心療内科で診るべき「心身症」は正確には、気の問題でなく「心身相関」なのだという話を前回はしたが、どれだけわかってもらえたかは怪しかった。

 患者さん――49歳女性のGさん。10年以上しつこい腰痛に悩まされているとのこと。
 予約時間に遅れてきたGさんは、開口一番、すみません、と平に頭を下げてしまった。
「先生、こんな遅れてごめんなさい。もう情けないんやけど、息子が突然職安行くなんて言い出すもんやから、久しぶりに車乗ったら腰の痛みが凄くひどなって……」

 うむ、職安ですと? そういえばこの方の息子さんは引きこもりで、旦那さんは長い間単身赴任に出ていると、初診のインテークシートにはあった。
 午前半ばの予約時間に間に合わなかったなら、職安に行く息子さんの送迎を車でしたということか。気になるところだが、まずは主訴である腰痛についての確認をしなければ。

「痛みが酷くなったんですか? 車に乗ったことと何か関係はありそう?」
「ええもう、私、昔から車、嫌いなんですよ。それでも腰が痛なるまでは乗ってたけど、あれ、緊張しますやん? そう言えば車のせいで元々、腰、痛なったんかなあって」
「車のせい? 最初に痛くなった時は、ってことですか?」
「そうそう。この間先生にあった時、『心身症っていうのは生活習慣病みたいなものですよ』言うてはったから、ああ、ひょっとしたらこれのことかなあって思って……」

 Gさんは腰痛が起こってから、色んな検査を既に受けてきている。それを見る限りでは明らかな異常はなく、痛み止めの薬も何も効かない。だから「気の問題では」と、色んな医師に言われてきたのだ。
 とはいえ、いきなり、「そうですね、車のせいです!」と鵜呑みにするわけにもいかない。
 ここで大事なのはきっと、Gさんが前回の言葉――「心身症は生活習慣病?」を意識に留めておいてくれたことだ。わかりやすくしようと思って言ったことだが、嘘ではない。それを覚えていてくれたということは、何か腑に落ちる部分があったのかもしれない。

「なるほど、少なくとも、車に乗って腰の筋肉が緊張すると、腰痛は悪くなるんですね。だったら今日は、かなりお辛いんじゃないですか?」
「ええもう! この間もらったお薬も飲んでるけど、正直、全然効いてなくて……」
「それじゃ、もっと他に、最初に腰が痛くなった時のことって、覚えてることあります?」

 なまじ最後の時間だったので気楽だった。本当はあまり良くないことだが、少し時間を延長して話をゆっくり聴こう。その空気が伝わったか、Gさんも細かいことを喋り出した。
「あの頃も確か、息子の送り迎えをしてたんですよ。結局辞めちゃったけど、ブラックな会社やったから、終電逃がすことも多くって。でも私がこんな腰痛んなって、送り迎えができなくなってから、息子が仕事を辞めてしもうて……」
「それってずっと、Gさんが送り迎えをしてはったんですか?」
「だって主人も忙しいんやもん。今ではもう家にすらおらんし、私しかおらんでしょ」
「そっか、それはプレッシャーですね。車がないと不便な家にお住まいなんですね」
「そうなんよ。そもそも台所も使い難いし無駄に広いし、庭の手入れも大変やしで。息子も私に似て運転が苦手で、もっと仕事も多い便利な所、引越したいて言うてた矢先に主人が単身赴任でしょ? 私も息子も、お先真っ暗や、ってなってしもて」
「ご主人さんが帰ってこないと、引越しは難しいんですか?」
「あの人偏屈で、部屋の物さわるとすぐに怒るねん。片付けに帰ってくる余裕もないし、働いてないもんは文句言うなって、私にも息子にもしょっちゅう言うてるし」

 ふうむ。それは辛そうだな、と思いつつ、腰痛のことに話題を戻す。

「お先真っ暗や。と、腰の痛みって、大きく関係してます?」
「当たり前やん。あの家にいる限り息子もよう仕事行かんし、今日みたいなことがあれば私もまた車乗らなあかんし。本当ね、車乗ると、腰が痛なりますねん。今日、久しぶりに乗って思い出したわ」
「そうなんですね。車以外には、腰痛の心当たり、何かありますか?」
「それがね、今まで何回も聞かれたけど、車乗らなくなってからも痛みひどくて。検査も異常はないて言うし、ほんまに痛いん? って、何度も聞かれました」

 ちょっと砕けかけていたGさんの口調が元に戻った。どうやら嫌なことを思い出させてしまったらしい。
「それでGさんは、『生活習慣病みたいなもの』、それを思い出してくれたんですね」
 初回のGさんはずっと腰痛の原因を気にしていた。今も多分そうなのだろう。
「そうやねん。あの家でずっと生活してたら、ひょっとしたら、治らんのちゃうかなって」
 その台詞にはきっと、色々に複雑な思いがある。「気の問題」と言われた過去が辛かったことは確かだろうが、「あの家で」という点に、Gさんの心が引っかかり続けていることも自覚はあるのだろう。

 前回、Gさんに説明した病態仮説は、なるべくわかりやすくするように考えて伝えた。
「『心身症』というのはですね。たとえばGさんが腰を傷め易い、腰に弱点のある体質なら、長年の生活上の負担が許容量を越えた時、負荷が腰の痛みとして現れた『生活習慣病』の可能性があるんですよ」
「え? 原因は腰にあるんと違うんですか?」
「姿勢とか筋肉の付き方とか、筋肉の緊張しやすさとか日頃多い動作とか、色んなことが影響するので、どれが原因とはなかなか言えないんですけどね。『痛い』と腰が言っている以上、Gさんの生活上で腰が悲鳴をあげてるのは確かですから。どんな時に悪くなるとか良くなるとかを探して、腰との付き合い方を一緒に考えていきませんか?」

 うちの科は「心身症」を診るところです。そう言われたら多くの人は「メンタルに問題がある」と捉えることが多い。Gさんも不思議そうにしていたが、「心身症」が何か詳しくわかってもらうことより、治療のイメージをいかに伝えるかを工夫した説明だった。

 実際、「あの家」とGさんの腰痛に、直接的な関係はあると言えるのだろうか。不便とか勝手が悪いとか、無関係とは言えそうにない。
 しかし「あの家が原因です」と言われたら、Gさんは納得するのだろうか。それは、「あの家で生活してたら治らんのちゃうかなって」と感じているGさんには、残酷な言葉でもある。何か辛い症状がある時、原因が気になるのは最もな話だが、世の中、原因がわかれば必ず治るというものでもない。対処法を探すために、原因の解明が有用なことは多々あるが、解決できない原因があるとしたら、明らかにするのも微妙なところになる。

 だからその原因を見極めるのは、特別心療内科医の仕事ではなかった。Gさんが望んでいるのは、腰痛を何とかしたいという現状打開策なのだから。
「Gさん。車以外にも、腰痛のせいでできないことって、何があります?」
「え? そんなん、とにかく痛いのが嫌ですねん。先生は腰痛、なったことありません?」
 言う通り、痛みそのものが不快なことは当たり前だ。ただ、痛みだけに着目した治療は、これまで効果を発揮していない。それなら違うアプローチが必要になってくる。
「ではこれまで、痛くても何とか生活してこられてきて、できないことはそんなに、実はなかったりします?」
「そうやねぇ、確かに、車くらいかもしれへん……でも、腰痛になってから旅行も行ってへんし、家事も毎日死にそうなんですよ、先生」
「腰が痛いのに家事はさぼってないんですか? Gさん、凄くないです?」
「当たり前やん、専業主婦なんやから。先生もしんどくても仕事するやろ? 同じやで」

 なるほど、Gさんは非常に真面目な性質らしい。普通、それだけ腰が痛ければ、少しは手抜きをするものではないだろうか。体をかばう発想があってもいいようなものだ。
 そんな話を聞くと、「痛いのに頑張ってしまう生活習慣病」と、喉元まで出かけてしまう。

 でもGさんの診察はまだ二回目だ。焦って大きなことを言うと信頼を失くしかねない。
「そっか、それがGさんの『当たり前』なんですね。わかる気がするけど、でもGさん、いっぺん、『当たり前』のことを何か一つ、さぼってみるようにしてみませんか?」
「え? どういうこと?」
「生活習慣って、沢山の『当たり前』で成り立ってるでしょ。それで病気になったなら、糖尿病なら糖分、高血圧なら塩分を減らすのと一緒で、『当たり前』をちょっと変えてみた方がいいことも多いんですよ。Gさんは何か、さぼれそうなことはあります?」
「えええ? ……さぼれそうなこと、ねえ……」
「あ、別に今すぐ決めなくていいですから、思い付いたら実行してみてください。それと、前回は筋肉を和らげるお薬を使ってみたけど、全然効いてないなら今回は漢方薬を使ってみましょうか。前のお薬はやめていいです。うーん、Gさんは、冷え症はありますか……?」

 そんなこんなで、その日は「さぼることを考える」宿題と、漢方薬の処方で終わった。
 漢方薬は今まで何度も飲んだけど、と言っていた。効かないからすぐにやめてしまったと言うので、今回は、物凄くまずくなければしばらく続けて下さい、とお願いした。
 何しろ、10年物の腰の痛みだ。腰だけに、じっくり腰を据えて取りかからなければ、と言うと最後には笑ってくれた。笑うとかなり美人な方でないか、と改めて気が付いた。

 Gさんの次の診察は午前の初めの方だった。普通の予約は十分診療だから、次回診察はゆっくりできないけど御免ね、とは予約時に言ってあった。
「先生、漢方、ちょっと驚いたわ。痛みは全然変わってへんけど、足の冷えはちょっと、ましになったんです」
「あ、そうですか? それやったら、Gさんの体質に合ってるんかも。もうちょっと内服続けてみてもらっていいですか?」
「わかったわ。他には新しい薬はないん?」
「考えますけど、この間言ってた、『当たり前を一つさぼる』は、何か思いつきました?」

 ああ、とGさんが軽く笑った。まだ空調の行き渡っていない肌寒い部屋が、少し暖かくなったような気がした。
「とりあえず今は、運転やめようかな、って。もうずっとほとんど乗ってなかったしね。でも私が送り迎えしたらんと、息子がよう職安も行かんのよね……」
「なるほど、それも辛いですね。でも、今は息子さんのことよりも、Gさんの腰のことを労わってほしいと思いますね」
「うん、だから私も、はよ就職しろって、言うのやめてん。私が運転さぼるんやったら、息子にも大きなことは言えへんし」

 そのあたりは家庭ごとの難しい問題だろう。迂闊に否定も肯定もできない。それより、すでに「久しぶり」というほどやめていた運転をさぼるだけでは、負荷の軽減としては、少し心許なかった。
「そっか、早速一つ見つけてさぼってくれて良かった。その調子で他にもさぼれること、もっと探してみてください」
「まだ他にもさぼるんですか? でも家事さぼったら、後で困るの結局私なんやけど」
「困るって、どんなことが困ります?」
「だって置いといたって、どの道やらなあかんやん。誰も代わりにはやってくれへんし」
「それでしたら、困らないように、新たな生活システムの構築をお勧めします。食洗機を買うとかルンバを放すとか、乾燥機を使うとか、この機に色々変えちゃいません?」

 真面目なGさんはきっと、どれも手作業だと勝手に思い込んでの提案だ。一応当たっていたようで、ううん、と少し考え込まれた。
「でもそんなんしたら、無駄遣いやさぼり過ぎにならへん? 主婦やのに」
「旦那さんとか怒っちゃいます? いない間にこっそり、じゃ駄目です?」
「先生、気楽ですねえ。考えてはみるけど、あんまりないと思うわ。あの家自体がもう、不便の塊やからね……」
 その日は結局、新しい薬は追加せずに終わった。漢方はゆっくり効いてくることもあると言うと、本当はあまり薬が好きでないから、増やしたくないとGさんが教えてくれた。

 毎回、そんな調子だった。腰はまだ痛い。とGさんにぶちぶち言われながら、漢方薬を変えたり、Gさんがなるべく腰を労わり、強くしていける生活を一緒に考えたりした。
 Gさんの話題は家でのことが多くなり、腰のことは言わない日も増えた。勿論聞けば痛いと返ってくるが、滅多に帰ってこない夫への愚痴、引きこもっている息子への心配などをいつしか話してくれるようになった。ただ、外来の十分は短く、いつももっと話したそうにしながら帰られていく。そんな通院が二年ほど続いた日のことだった。

 その日は珍しく、Gさんが「最後の時間の予約にしてほしい」と言った日だった。
 何だろう。と思っていたら、もうすっかり慣れた風のGさんが、家族を連れて診察室に入ってきたのだった。
「先生、ごめん。今日は息子と主人に、私の腰のこと、説明してほしいねん」
 単身赴任中の夫と、引きこもりの息子。その二人が、Gさんのために付き添ってきた。これはこれは、と気を引き締め、お昼ご飯を求めて鳴るお腹を封印する。
「腰のこと。『生活習慣病』だって、お二人に話しても大丈夫ですか?」
 最早Gさんとの合い言葉は、すっかりそれ――「生活習慣病」になっていた。それでも一応確認すると、Gさんは笑顔で頷いてくれた。

 説明を始める前に、夫の方から質問があった。
「『生活習慣病』いうことは、住んでる環境が悪いいうことですか、先生」
「住んでる環境、というと?」
「家内はもうずっと、引越ししたい、って言うてまんねん。でも私も忙しいし、さすがにそろそろ単身赴任は終わらせたいけど、うちは先祖から代々継いだ家やし……」

 この方は誠実だろう、と少し安心する。気にされているだろうことを先に尋ねてくれた。やはり説明をするなら、相手が気になっていることから始めるのが一番効率がいい。でもあれからずっと、腰痛の原因について、Gさんに何も断言していない。Gさんには「生活習慣病」という合い言葉がそのまま気に入ってもらえたので、家そのものについては深入りしない診察を続けてきていた。
「そうですね、それはそれで難しい問題なので、ご家族間でよく話し合っていただくのが良いかと思います。でもGさんの腰痛は、頑張り過ぎるGさんの習慣が祟った病じゃないかって、Gさんとはよくお話ししているんですよ――」

 夫は少し安堵したように、息子は納得したような顔で説明を聞いていた。
 Gさんが家での負荷を減らし始めてから、息子は少し、自分のことを自分でするようになったらしい。就職について煩く言うのをやめたから、とGさんがこっそり言っていた。
 自分もさぼっているしと、息子の就職について思い煩うことをGさんが減らすと、夫が今度は家族を心配し始めた。それで今日の来訪につながったらしい。
「子供のためにも、引越した方がいいのはわかってまんねん。でも私も大変で……」
「お父さんの単身赴任も、長そうですもんね。お父さんの心配はごもっともなんですが、今はお父さんも含めて、ご自身の心配をして生活する時期なんじゃないか、と思いますよ」

 Gさんもきっと、葛藤している。夫に無理をさせてまで、引越しの強行はできないのだ。引越しも下宿も援助できないなら、息子に通勤の負荷をかけるのも辛いのだろう。
 簡単に解決できない環境は何処にでもある。そのひずみがどんな形で出るか、それは、人それぞれとしか言えない。誰かを悪者にしても、なかなか実際の問題は解決しない。
 腰は変わらないと言いつつ、Gさんは通院を続けている。卒業できたら言うことはなく、家族が各々の本音を少しでも共有できた今回が、その一歩になることを小さく願った。

 いつの間にかGさんの病名は、「腰痛症(心身症)」「更年期障害」になっていた。今では二つ目の方が困ると訴えるGさんに、今日も十分の外来が続く。


-了-



| 杉浦 亜紀 | 著:杉浦(管理人) | 17:45 | comments(0) | trackbacks(0) |

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